9月15〜17日の3日間、震災のため2年ぶりに再開された竹内神社祭礼の最終日の模様をお伝えいたします。
竹内神社は市内布佐1220番地にあり、祭神は天之迦(あまのか)具土(ぐつち)命(のみこと)(相殿)は
日本武尊 竹内宿祢(たけうちのすくね) 創始は承平年中(931−8)といわれ武内大明神を奉斎したと伝える。
古記録の類が安政6年(1839)の名主方の火災で失われたために不明であるが、別に「由来記」一巻がある。中略
森田左右衛門かかわる白蛇出現の伝承といのがあり、左右衛門(多右衛門と記すものもあるが)
宮昨台の畑で麦の刈り取りをしていたところに、にわかに雷雨となっため、刈り取った麦を積み上げて置いて帰り、
翌日行ってみると、一夜にして竹の子が生え、白蛇がとぐろを巻いていてとり入れができない。
これは、たたごとではないとて、行者が愛宕神社に祈ったところ、
「武内神社を此の地に移せ」との神託があって、さっそく遷座し、社名も武内神社と改めたというのである。
『相馬霊場案内』には「武内神社宮昨と称する処に鎮座してある、祭神天迦具土命にして、
文禄2年の創建にかゝりしものであといふ、毎年例祭9月14、5,6日の3日間を以て、之を行ひ、
郷社なるのを故を以て、県より神饌弊帛料の献進がある」と記されている。
このことにより、現在行われている例祭の日がきまったのであろうか。
当社には鼻の欠けた天狗面もあり、その面表に「天保乙未(1835)4月祥日、
細工人形山林哲」墨書きされている。当社の旧御輿は、享保21年(1736)に調達したといわれ、
さかんな御輿の巡行がおこなわれてきた。その先導役の猿田彦の仮面の旧物である。
猿田彦(サルタヒコ)は、日本神話に登場する神導きの神様の代表格。鼻が異様に長く、
サルのような面持ちであったようで天狗のような顔をしていたようだ。
当社の祭礼では天狗のお面を被った猿田彦が未だ先導役を担っている。
(我孫子市史 民族・文化財篇より引用)
この祭の日には、実家へ帰省してくる人達が多いそうです。
最終日には、千葉テレビの方がカメラを持って取材にきておりました。
9月29日に放映するそうです。
|